パワースポット探訪④ 大都会で強運と財運を授かる【小網神社】
日本全国に数あるパワースポットのなかから、とびきりご利益がある、行って楽しめるなど、評判の場所をご紹介するシリーズ「パワースポット探訪」。シリーズ第4回目は、東京・日本橋エリアにある「小網神社」をご紹介します。
大都会のなかにある面積的にはとても小さい神社ながら、著名な占い師、スピリチュアリストなどの多くが、とにかくご利益が凄い、最強の神社としてこの小網神社の名前をあげていることでも知られてます。
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参拝に長蛇の列ができる小網神社
江戸の昔から都の中心地である日本橋・小網町にある小網神社は、商店などでにぎわう人形町から歩いて10分もかからない場所にあります。道路に面して建つ鳥居から本殿までの距離はほんの10メートルちょっとといったところでしょうか。大都会の片隅、ビルの谷間にポツンとたたずむ神社といった様相です。
しかし、そのような小さい神社ながら、ここにはひっきりなしに参拝客が訪れています。有名占い芸人が、毎年家族と初詣に訪れるのは小網神社だと発言したり、昨年末もテレビで別の有名占い師が最強の神社として小網神社の名前をあげたりしたことなどがあってか、この正月から長らく参拝のための長蛇の列が途切れることがなく、参拝までに数時間並ぶようなことも珍しくありませんでした。毎月行われている昇殿祈祷の予約もあっという間に埋まってしまうそうです。
ご由緒
小網神社の御祭神は倉稲魂神(うがのみたまのかみ・お稲荷様)、市杵島比売神(いちきしまひめのかみ・弁財天様)、福禄寿様です。
その創建は、文正元年(西暦1466年)。たちの悪い疫病が流行していた頃のことです。以前からこの近くにあった萬福庵という観世音(観音様)と弁財天様とを安置する庵に、網師の翁が海上で網にかかった稲穂を持って訪れ、数日間を過ごしました。そんなある夜、庵の開基・恵心僧都が当時の庵主の夢枕に立ち、網師の翁を稲荷大神と崇めれば、村人を苦しめている疫病は消滅するだろうと告げたのだそうです。翌朝には網師の翁はすでに姿を消していましたが、庵主は村人とともに神社を創建して祈り続けたところ、まもなく疫病は鎮まったと言い伝えられています。
当時この地域の領主は、江戸城を築いたことでも知られる太田道灌でした。彼はこのご神徳を聞きつけ、何度も参拝に訪れたそうです。さらに、土地を寄付し、小網山稲荷院萬福寿寺と名づけました。そののち、この氏子区域を小網町と名づけたそうです。
やがて明治維新後に神仏分離令によって寺社が分離し、そこから小網神社という現在の形になりました。いまも境内に祀られている弁財天様と福禄寿様は、分離前のお寺から受け継がれているものです。
「強運厄除の神様」として崇められる理由
小網神社は「強運厄除の神様」といわれていますが、その理由となるさまざまな「強運」エピソードが知られています。
まずは、第二次世界大戦の際の出来事があげられます。小網神社では、戦地へ赴くことになった氏子の出征兵士に対して出征奉告祭を行いましたが、これに参列し、小網神社の御守を受けた兵士は全員無事に生還したそうです。また、東京の下町地区に未曾有の災害をもたらした昭和20年3月の東京大空襲の際にも、小網神社の社殿を含む境内建物は奇跡的に戦災を免れています。神社の公式サイトには出征奉告祭と、帰還奉告祭の際に写したモノクロの写真を見ることができますが、神社の社殿も出征した方々も変わることなく写真に納まっています。
時代をさかのぼるともう一つエピソードがあります。大正12年9月1日の関東大震災の際のことです。大地震に遭遇した当時の宮司はお稲荷様や弁財天様などの御神体を抱えて近くの新大橋に避難し、その場で加護を願ったそうです。すると小網神社の旧社殿はこの地震で倒壊してしまうのですが、新大橋は落ちることなく、ここに避難した大勢の人々も助かったといわれています。その様子は新大橋の袂にある避難記念碑にも記されているそうです。
聞けばどれもまるで奇跡のようなお話ばかりです。このようなさまざまな言い伝えから、小網神社は「強運最強」と呼ばれ始めたようです。
必見! 「昇り龍」と「降り龍」
小網神社の木造総桧造りの神殿と神楽殿は、昭和4年(1929年)の造営です。すでに述べた通り、奇跡的にその後の戦禍も免れ、現在では日本橋地区に残されている唯一の戦前の木造神社建築となっています。この貴重な建物は、中央区の文化財にも登録されています。
なかでも向拝に施された「昇り龍」と「降り龍」の彫刻はとても見事なもので、強運厄除のご利益のシンボルとして崇められています。「昇り龍」は、参拝者の祈りや願いを神様に伝え、「降り龍」は、神様からの徳(ご神徳)を参拝者に授けるといわれています。小網神社の授与品である「強運厄除守り」などにも、この龍神様の迫力あるお姿が描かれています。
神様との縁結び「まゆ玉おみくじ」
また、小網神社の授与品のなかで龍神様のお守りとともに人気なのが、「まゆ玉おみくじ」です。特に女性を中心に人気を集めています。
この「まゆ玉おみくじ」は本物のまゆ玉の中におみくじを奉入したもので、まゆは一本の糸で紡がれていることから、「神社の神様とのご縁が一本の糸のように細く長く結ばれますように」との願いが込められているとのことです。
かわいらしいまゆ玉には紐が付けられていて、おみくじを抜いた後はそのままお守りとして持っていることができます。
「東京銭洗い弁天」としても知られる
小網神社の社殿左側、社務所前には、弁財天様の像と「銭洗いの井」があります。この弁財天様はお舟に乗られているのが特徴で、またもともとは同じ境内にあった萬福寿寺に安置されていたことから、「萬福舟乗弁財天」と呼ばれ、毎年10月28日には「萬福舟乗弁財天大祭」も行われています。
またこの銭洗いの井で金銭を清めて持っていると、財運が向上するといわれることから「東京銭洗い弁天」とも呼ばれています。ちなみに、ここで清めた小銭は使わずに持っていた方がよいそうです。穴のあいた硬貨であればそれに紐などを通して、そうでないものならポチ袋のような小さな紙封筒などに入れて、お守りとして財布などに入れておくのがよいとのことでした。
小網神社は、地理的に日本の金融の中心地である兜町、日本証券取引所などからも近いことから、数多くの経済人、トレーダー、証券マンなども財運向上を願って頻繁に参拝に見えているそうで、なかには小銭ではなく、1万円札を洗うような人もいるようですよ。
徳を授ける福禄寿さま
また小網神社には福禄寿様も祀られており、弁財天様とともに「日本橋七福神めぐり」のひとつとなっています。福禄寿様は、健康長寿の御利益とともに、「福徳」「人徳」「財徳」など、さまざまな「徳」を授ける神様です。笑顔の福禄寿様の像を見ているだけでも、幸せな気持ちになってきます。
この「日本橋七福神めぐり」のほかに、小網神社で行われる行事としては同じく正月に行われる「東京下町八福神めぐり」(東京・台東区と中央区にある8つの神社をお参りするもの)や、毎年11月28日に行われる新嘗(にいなめ)祭、通称「どぶろく祭」などがよく知られています。
新嘗祭とはその年に収穫された穀物(新嘗)を神前にお供えして、一年の恵みに感謝するお祭りで、全国の神社でも行われていますが、特に小網神社では、新嘗とともにどぶろく(新米からつくるにごり酒)もお供えして参拝者にふるまうところから、「どぶろく祭」と呼ばれるようになりました。例年大いに盛り上がるお祭りです。
まとめ
小網神社は非常に小さな面積の神社ながら、「強運厄除」や「財運アップ」といったご利益の強さが広く報じられるところとなり、参拝者は年々増加傾向で、いまや東京のみならず、全国から多くの参拝者を集めています。
やはり初詣の時期などは特に混み合います。大勢の人々でにぎわう活気あふれた神社を見るというのもいいかもしれませんが、そういう考えでなければ、少し時期や時間をずらして小網神社を訪れることをお勧めします。時期によっては比較的すんなりとお参りできることもあるようです。
混雑してしまうと、どうしてもゆっくり参拝できなくなるものですし、社殿を見るようなゆとりがなくなってしまうのも残念です。その神社建築も今や貴重なものなので、小網神社を訪れた際にはぜひ忘れずにご覧になってください。